いつものわたしを表現するブログ

音楽のレビューや、ゲームの感想など・・・

雑記:忙しさの中の楽しさ

忙しさを楽しさにつなげる

どうも、お久しぶりです。確か、前回の記事ではアルバムレビューの目処が立ったので記事を書くことを視野に入れると言っていましたね・・・w。

あれからだいぶ時間を置いてアルバムレビューの記事を書いては見たんですけど、自分の中では納得がいかなくて、何度も消しては書いてを繰り返していたんですよ。。。

自分の語彙力が足りないからかなぁとか、自分自身に納得いかないからかなぁとか。後は本当にそのアルバムをレビューしたいのかとか考えて自問自答を結構繰り返していたというのも大きいかなと思います。

そこで、自分自身に距離を置き、特定のSNS以外で自分から発言したり、見たりすることを抑えて、所謂SNSから距離を置いていっぱい本とかを読んで勉強を繰り返していました。

例えばふと、オノマトペとかって全然分からんなと思った時にオノマトペに関する本を読みたくなったんですよね。

その時に、小野正弘さんの『オノマトペがあるから日本語は楽しい』や窪薗晴夫の『オノマトペの謎』など、結構読み漁りました。それ関連の論文とかも見たりしたんですよ。じゃあ結果何が分かったかと言うと、それがよく分からなかったんですね。

いや、まぁある程度は分かりましたよ。それこそ我々日本人にとってオノマトペとはどう言う役割を担っているのかとか、オノマトペのしやすさにはレベルがあるとか。そう言うことは理解したと思えるし、そういう知恵を得たと言っても良いのだが、肝心のオノマトペの根源が分からず仕舞いであった。まぁ一般に擬声語や擬態語と言えば話は早いし元々の意味はそうなのかもしれない。けれど、色々と読み解く上で中々に理解しづらい部分もあったのは事実は事実でした。

多分、オノマトペというものに一音一音が意味を持って接しているため、より言語の深いところというか、文字や発音などの我々の意識外から語りかけてくるようなものだからだろうか。そういう意味でまた、面白いと感じたんですよ。

 

その他にも音楽について改めて知ろうと思って円堂都司昭氏による『ソーシャル化する音楽』も読みました。

こちらも大変に興味深く、我々が90年代の音楽から2000年代の音楽に移り変わり、そして今に至るまで我々は音楽を聴く側から遊ぶ側に回っていったというものだ。カラオケや音ゲー。サブスクなんかもその例だろうなと。

そういう意味であらゆる分野は研究されたり対談のテーマになったりと様々なものになっていて勉強が楽しいとこれも感じた。

しかし、同時に趣味の大半をそれに費やしてちょっと彷徨っていたのもの事実かもしれないなぁと感じる時が多くなってね。つまり心ここに在らず。心が無くなると書いて「忙しい」と書くからこそ、ちょっと無心になって色々と離れていたなぁと。けれど、それが楽しくて仕方がなかった。音楽を聴く楽しさやゲームの楽しさ、映画などの娯楽以外の楽しさにもやっぱりこういう昔からの読書というものは忙しい中にも楽しさが繋がっていった。

友人に読んだ本の内容とか感想とか、それについてどう思ったとか話すことで改めて自分の中で整理をつけた。多分大事なことってこういうことなんだなと思う。

 

SNSとかもそうかもしれない。誹謗中傷とかを受けたからどう対処しようとかじゃなく、なぜそうなったのか。自分に原因があるかを見つめ直してからが先だと思う。ここんとこのそういう事件とかはそうかもしれない。自分に原因を見つめ直すやり方は様々だが、やっぱり私の中でのNo.1はお寺に行って手を合わせることだと思う。理由なんかなくていいと思う。ただ、行こうと思ったから行く。そして手を合わせる。それだけでだいぶ心に整理がつくはず。

 

そう願いながら、今回の記事はここで終わりにしようと思う。いつものわたしを表現するブログという意味を改めて考えて、今後も色んなことを表現しようと思う。

 

ここまで、見ていただき誠にありがとうございます。では、また別の記事で。。。