言葉の遊び、音遊び。
2月17日に配信リリースとなった星野源の最新曲『創造』。マリオ35周年企画として制作され、CMソングとなったこの曲は多くの耳に馴染んでいる曲と言っても過言ではない。
そして、MVとFullが解禁されいざ蓋を開けると驚いた。この歌詞、音は遊んだものだからこそできる愛のある歌だと。これを愛なくして何と言うのだろうか。
今回はそんな『創造』を音や歌詞、MVから探っていこうと思う。
音遊び
まずは音からだ。今回の星野源は「プリン」や「時よ」を混ぜたポップチューンである。
そこにとどまらず、マリオに関係している様々な音遊びをしているのである。分かりやすいものではMV冒頭のGB起動音やマリオのパワーアップやその他効果音。
分かりにくいもので言えば、マリオ3のゴール音であったりスーパーマリオランドのミス、メインテーマ、クリア。そして極みつけは間奏で流れるマリオカートWiiのレインボーロードである。
この音遊びは任天堂が長年定着させている曲と我々のリンクである。様々な効果音があることで私たちゲームファンやそれほど遊んでない人でも、「あ、マリオの音だ!」と気づきニヤニヤするはずだ。
これは私が去年のベストソングに選んだBUMP OF CHICKENの『アカシア』もそうだったが、新しい歌でありながらも昔のことを想起させるこの音は大変に素晴らしいものである。
曲もキュートなポップス。だけどそれではマリオらしくない。マリオはカッコいいのだ!そのため、所々ベースのスラップやCメロのカッコ良さは保っており、まさに曲もマリオそのものを表している。まだまだ聞けば聞くほど発見がある、この曲は凄えなと思う。(小並感)
歌詞
ここからが星野源の真髄である。この歌詞はマリオだけでなく、任天堂の創造を歌っている。MVと合わせて見ていこう。
何か創り出そうぜ 非常識の提案
誰もいない場所から 直接に
これは、任天堂が掲げているポリシーがある。
常識の枠からはみ出たものは全て非常識とされてしまう世の中。任天堂もそうだった。当時は主流だった操作キーに二つのボタンから、スーパーファミコンではボタンが大量に付くことに。さらに64ではとんでもない形状のコントローラーとなり、Wiiではリモコンに、今Switchでは、携帯機と本体とが組み合わさった昔からしてみれば非常識である。
しかし、マリオを作った宮本茂や任天堂の元社長である岩田聡は「文化が変わるということはこういうこと」と述べた。
新しいものを作り上げると、それは当然批判もされるし不安の声も上がってくる。しかしそれは同時に新しい常識を作り上げることとなり、非常識から常識に変わっていく瞬間でもある。
そこには後半の歌詞に出てくる
あぶれては はみだした 世をずらせば 真ん中
という歌詞からも読み解ける。
任天堂のポリシーでもあるこの言葉とともに、岩田聡の代名詞「直接」をこの歌詞に入れていることが印象的だ。MVも星野源が直接ポーズをとっていることから、これも伺える。(実際に星野源ANNで、関係あると述べていた。)
そういう意味で言うと
独(いち)を創り出そうぜ
そうさ YELLOW MAGIC
の部分のMVはNintendo Switchを紹介する際に用いられる指パッチンを想起させる。
もちろん歌詞にある「配られた花 手札を握り」は花札を連想させる。
「死の淵から帰った 生かされたこの意味は 命と共に 遊ぶことにある」はマリオの残機を表している他、星野源自身の体験談も折り混じっている。
そして注目は3回目のサビにある。
目下捻り出そうぜ 閃きの妙案
枯技咲いた場所から 手を振る普通と
バタつく未来を 水平に見た考案
これは任天堂史に残る稀代の天才「横井軍平」の名言「枯れた技術の水平思考」が元となっている。
調べればわんさか出るが、歌詞からも読み解ける通り手を振っているという動作は普通に見える。けれどもその手を振っている動作は水平線を辿ると、バタつく未来に応用できる。といった任天堂のDNAが刻み込まれた歌詞である。
MVにも細かい点がいくつもある。
MVに出てくる日付はスーパーマリオブラザーズの発売日(1985/09/13)とゲームキューブの発売日(2001/09/14)である。
スーパーマリオブラザーズが発売された年は星野源がまだ4歳だった頃。衝撃そのものだったのだろう。一方でゲームキューブはこのMVだけでなくサビ前導入にゲームキューブ起動音をモチーフにヴィブラフォンで叩いていることから相当の思い入れがあるとされる。これは、当時2001年に星野源がバンドに所属していた「SAKEROCK」がこの年に音源をリリース(実際に発売はしていないが)、当時20歳であったことからも人生の転換点でぶつかったゲーム機であったことが考えられる。
様々な元ネタやチップチューンを活かして作られたポップチューンは誰が見ても凄いことをやっている他にならない。そして星野源ファンや任天堂ファンにとってここまでニヤリとできる音楽も相当ないだろう。
マリオファンにとって白昼堂々マリオの曲と呼んで差し支えない曲が出てきてくれたことに本当に感謝しかない。
ーまとめー
宮本茂がマリオについてこんなことを語っていたことを思い出す。
私にとってマリオは、まだ純真無垢だった頃の、昔の自分に戻るためのきっかけとなるものです。
大人は倫理や道徳を身につけた子供のようなものなのです。ゲームは、子供のためにあるのではなく、子供の頃の心を、本当はまだ失っていない全ての大人たちのためにあるのです。
私がこの『創造』のMVを見た時、本当に笑顔になっていた。まるであの頃夢中になってマリオの新情報を公式サイトで見ていたあの時の子供のようだった。
今では大人になったが、今でも公開されるNintendo Directにウッキウキな私がいる。けれどこの気持ちは何なのだろうと不思議に思っていた自分がいた。そしてこの曲を聴いた時、このような言葉をふと、思い出したのである。
所々にマリオの効果音やBGMを入れてサンプリングしているのは単純に、あの頃の、子供の頃の心にもう一回戻ってみよう!という星野源の粋な計らいに見える。
子供の頃はバカだった。ふざけたことを言い合い、ヒーローや芸能人、または偉大な発明家になる!と言っていた奴もいたなぁと思い出す。
今はそんなリアリティ志向になってしまい、そんなこと出来るはずが無いと思い込んでしまっている自分がいる。
誰も「想像」できない「創造」をする。それこそが「非常識」から「常識」に変わること。この世をたくさん遊ぶために、星野源が掲げている新たな音楽ジャンル「YELLOW MUSIC」を「YELLOW MAGIC」で「常識」に変えるために。
そのような「想像」が出来る素敵な音楽に出会った。今年のベストソングから5本指から崩れることはないだろう名曲だ。
P.S.
もし、こういうところが違ってるよだったり、こういう小ネタがあるよがあったら教えて欲しい。修正したり今後の記事作りの参考にしていきたいと考えてます。