いつものわたしを表現するブログ

音楽のレビューや、ゲームの感想など・・・

今年の総括みたいなことを夜公園でスイングの練習をする野球少年のように黙々とやってみる

そういうのを雑記という

今年は本当に色々あったな、というかあり過ぎたなと思うことばかりである。

そのどれもがあまり思い出したくないとかいう何とも本当に変な年だったなと、異質な年だったなと多分私が老人になったとしてもこの年のことは忘れないだろう。

自宅で待機することが多くなって、余計に音楽に触れ合う機会や昨年以上にVTuberというものにのめり込んでいった年でもあったりもした。

そういう中でメリッサ・キンレンカというVTuberに出会えたことは良かったなと思える。昔とかはそこまで苦手だったインターネットソングと自分でそう呼んでいる、所謂中毒性あふれるダークソングがこの方の表現力に圧倒されていった。

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意外に本当にそういう年だったのかもしれない。強いていうならバラエティー番組の「有吉の壁」は毎週毎週、多種多様の芸人が本気で笑いに関して向き合うバラエティー番組として久しぶりにめっちゃ面白い番組に出会った!とちょっと感動した。日テレもたまにはやるじゃんと思った年でもあった。(他のバラエティーに目を逸らしつつ)

 

外出が自粛されたとはいえ、私用で殆ど外に出ない私にとっては本当に関係のない話であったりと私の周りですごい目紛しく動いていた年だった。

だけど、確かに言えることは、この一年は本当に早かった。そしてその分なぜかポッカリと穴があったように思える。

何もかもが異質だったこの年で、様々な昔の状況が変わろうとしたり、変わってなかったりした。

 

そして、もう一つ私にとって本当に苦しかった事件があった。

 

 

槇原敬之の逮捕である。

 

Twitterでは極力触れず、あの1日だけで、名前も出さず、静観を貫いた。不用意な言葉は不用意に出さないに限るからである。

あの事件のとき、本当にショックで、涙も止まらず、悶え、苦しみ、最終的には吐いていた。あの時食べた親子丼の味も覚束なかった。

今年がアニバーサリーイヤーであったために、この事件に耐えることができず、もし誰かが私に対してこの事件に対して言った時には本当に心の底から憎み、ブロックをしようとさえ考えてたぐらいにあの時を忘れることがなかった。けど、その人は全く悪くない、というかあの時の私もあんなぶっきら棒な返事をしたと思い申し訳ない気持ちでいっぱいだ。(その後しっかりと謝りました)

 

人生の柱にポッカリと穴が空いた、まるでジェンガのように、崩れかけようとしていた。多分、流行り病よりも耐えられなかっただろう。(流行り病の最中にこの事件が来たら本当に全てを投げ出して逃げいたかもしれない)

今だってこの記事を書く時に、手の震えが来る。本当はこのブログの槇原敬之に関しての記事は全て排除しようと考えた。

けれど、それは過去の私が許すことが出来なかった。あんなに楽しくレビューしたり、新曲を待ち遠しくしていたり、コンサートも楽しく行ったりと。

過去、あんなに槇原敬之を楽しんでいた私をどうしても裏切ることが出来なかった。自分を裏切るということは出来なかった。

多分この苦しみがあったからこそ、流行り病の件や様々な死なども乗り越えられたんだと思う。

「曲に罪はない」という言葉がある。私はこの言葉を昔から許すことがあまり出来なかった。ただの逃げ言葉であるからだ。

「曲に罪はない」という言葉は、亡くなったアーティストや作詞家、作曲家に対して使われる言葉であると私は思う。

今、久しぶりに槇原敬之の曲を聞いてみた。けど、そこで聞いて湧くのは過去の感情を思い返しているだけであった。多分、もう一度槇原敬之の姿をちゃんと見せ、ちゃんとした活動をしてくれない限り、心はここにあらずだろう。

 

 

・・・話は少し長くなったが、これが私の総括だ。

最後に悲しいことを喋っては何だし、明るい話をして締めたいと思う。

やはり様々な芸能人が結婚したことは嬉しかったなと思える。

よく見ていたガーリィレコードチャンネルの高井さんが、ここ最近結婚の報告をしたり、声優の花澤香菜さんが結婚したりと幸せなニュースはやはり幸せだなと素直に思える。

素直に思えない人は何で何だろうなとちょっと思って少しクスッと来たりはする。

 

最後に年の瀬に見たCMで大変素敵な言葉を残したこのCMをこのブログに貼り付けて終わろうとする。

新年一発目の記事はMyベストソング50を予定している。是非そちらの記事も見ていただけたら幸いだ。

 

 

 

 

来年は絶対今年よりもいい年になっている。

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